死ぬのは怖い、イヤだ、何が何でもイヤだ〜〜!!
命が大事、生きていることが一番だいじなんだ〜!!!
という、生命至上主義者の心の叫びを
昨日のトッキーのブログ
無自覚なロシアの味方・玉川徹
から感じ、目まいがした。
平和とは何か。
戦争していないというだけのことだと
福田恆存は喝破した。
「単なる事実を示す消極的な意味にすぎない」のに、
戦後日本はそれを、何らかの価値を示す
積極的な意味として捉えた。
それが戦後日本の弱点だと福田は言った。
積極的な意味として捉えると、どうなるか。
平和をお題目のように唱え続けるだけとなる。
その意味も、そこから生み出される(または生み出されない)
価値をも考えなくなる。
ただただ戦争は悪、平和は善、命が大事、
それ以上のことを考えなくなる。
深い洞察など必要ない。善悪二元論でばっちり解決、
思考停止の甘い罠。
戦後日本は、それにどっぷり浸かったのだ。
玉川徹のような生命至上主義者は、そのなれの果て。
生命至上主義は、物事の本質を見誤らせる。
誰が侵略者で、誰が被害者なのかをあべこべにする。
最優先は「命」だから、あとはどうでもいい。
結果、力でねじふせる、ねじふせられることを
許容する。
自分の「命」が大事だから、自分以外の、
愛する人のため、愛する故郷のため、愛する国のために
戦うという尊い自己犠牲的精神を否定する。
結果、究極のエゴを容認する。
ただ息をしていればいい。
生命至上主義者は、それが「生きる」ことだと
信じて疑わない。
家族を失い、友人を失い、故郷を追われ、国がなくなる。
自分を自分たらしめているつながりや拠り所が
全てなくなったとき、人間は「生きている」と言えるのか。
生きているというなら、その実感をどう得られるのか。
今のウクライナを見てもなお、そのことに思いがいたらないなら、
感性がすさまじく劣化しているとしか言いようがない。
真に「生きる」とはどういうことなのか。
ぬるま湯に浸かった80年間で、
戦後の日本人はそれを一顧だにしなかった。
玉川徹のような人間は、その代表格だ。
平和主義や生命至上主義は、
自分ひとりの力で生きていると信じて疑わない、
じつに浅はかで、究極的に傲慢な人間を生んだのだ。
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